骨肉腫サバイバーダンサー story6【小児がんを発症した僕が笑顔になれる理由とは】

骨肉腫サバイバーダンサー

私はプロダンサーです。信じられないかも知れませんが、右足付け根部に骨肉腫を発症したにも関わらず、骨肉腫発症から約20年後に、私はプロダンサーになりました。
私は、10歳の夏に骨肉腫を右足付け根部に発症。
主治医の先生は、その私の状態から絶望的な結果も想定したくらいの状態だった。
私は、主治医の先生から、右足切断の説明と、承諾確認をされました。
右足の切断は、私の今後の人生にとって、とても大きな影響を与えることでしょう。
もし、当時私の右足を切断されていたら、今、そして、今に至る人生経験は全く異なった結果になっていたのだろう。
プロダンサーになった私は、ダンスを通じてたくさんの仲間ができました。
そして、ダンスを通じて人生を楽しむことができた。
幸せを感じながらダンスを踊り、そのダンスを人に見てもらうことで、見る人を幸せな気持ちにすることもできた。
私の右足は、百万分の一いや、一千万分の一の確率で奇跡的に残された、奇跡の右足なのです。
今回は、私がプロダンサーとして活動していた時の様子をお話しします。
私がダンサー活動をしていた「YOSAKOI (よさこい)」は、団体チームでした。大きなイベントへの出演や企業からの依頼、養護施設や介護施設への慰問など、さまざまな活動をしていました。
数年間のダンサー活動をする内に、私はとても大切なことに気が付いたのです。それは、私の右足の存在です。私には右足がありますが、この右足は当たり前の存在ではありません。
10歳の時に、骨肉腫を発症し、切断手術の計画が検討されていましたが、癌の転移の範囲がぎりぎりのところで留まっていたため、右足の切断には至りませんでした。
私の右足は、奇跡的に残されたのでした。
その後の、癌の再発もありませんでした。あの時、私の右足が切断されて、無くなっていたら、それでも私はダンサーになっていたのだろうか。
いや、きっと、右足を無くしていたなら、私はダンサーになっていなかっただろう。
私はイベントでダンスをしている時、自然と笑顔が溢れることがある。
そして、ダンスをしている時、涙が溢れ出すことがある。
それは、自然なことだった。
ダンサー仲間が教えてくれた。
ダンスをしている時の私は、とても楽しそうで、とても力強いと。
それは、私が、右足の存在と、その右足を使ってダンスを踊れることに、喜びを感じていたからだ。



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