骨肉腫サバイバーダンサー story5

骨肉腫サバイバーダンサー

私はプロダンサーです。信じられないかも知れませんが、右足付け根部に骨肉腫を発症したにも関わらず、骨肉腫発症から約20年後に、私はプロダンサーになりました。
私は、10歳の夏に骨肉腫を右足付け根部に発症。
主治医の先生は、その私の状態から絶望的な結果も想定したくらいの状態だった。
私は、主治医の先生から、右足切断の説明と、承諾確認をされました。
右足の切断は、私の今後の人生にとって、とても大きな影響を与えることでしょう。
もし、当時私の右足を切断されていたら、今、そして、今に至る人生経験は全く異なった結果になっていたのだろう。
プロダンサーになった私は、ダンスを通じてたくさんの仲間ができました。
そして、ダンスを通じて人生を楽しむことができた。
幸せを感じながらダンスを踊り、そのダンスを人に見てもらうことで、見る人を幸せな気持ちにすることもできた。
私の右足は、百万分の一いや、一千万分の一の確率で奇跡的に残された、奇跡の右足なのです。
今回は、私がプロ活動していたダンスについて説明します。
私が活動していたダンスは、「YOSAKOI」という創作ダンスです。このYOSAKOIは、四国地方、高知県の「よさこい踊り」が発祥ですが、後に、北海道のソーラン節とのコラボレーションで、「YOSAKOIソーラン」が、誕生しました。それをきっかけに、日本全国から海外にまで流行りました。
私は、YOSAKOIソーランのダンサーの力強い舞いに憧れ、ダンスを始めるきっかけになりました。
当時のYOSAKOIソーランのダンスの特徴は、とても激しく力強い振り付けが多かったように思いますが、私はその姿に憧れを抱いていたので、その力強い舞いをチームに所属して創作していました。私は、演出の一部を担当させてもらっていましたが、尊敬する振付け師の方の振付けがとても好きでした。
骨肉腫サバイバーの私がこのような激しいダンスを舞うことができたことは、奇跡に近いことだと今でも驚いています。
チームの仲間にも伝えていなかったことなのですが、私の右足の付け根の軟骨は手術当時に除去されました。どの程度残されたのかは、分かりませんが、数十年経過した今でも歩行時に少し違和感があります。
ですので、ダンスをしているときは、とても大きな負担がかかり、痛みを感じることもあります。
しかし、これも骨肉腫サバイバーダンサーとしての試練のひとつなのだと理解しています。







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