【蘇りの刻】小児がんの僕が生き続けた奇跡1️⃣

【蘇りの刻】小児がんの僕が生き続けた奇跡
小児がんを発症した僕の主治医であり、執刀医でもある千秋先生は、僕に癌(ガン)告知をしてくれた。




それは、僕がわずか10歳と4カ月目の、ある夏の日のことだった。








その告知は、優しく、とても愛を感じる告知だった。




癌告知された時のショックは大きかったが、とても安心感が得られた



 
ゆっくりと、丁寧な説明には、先生の優しさを感じた。





千秋先生は、「きっと治ると信じる」ということを事を説明され、僕は希望を得ることができた。


しかし、自分がガン患者となったこと、ガン告知されたことを境に、とても情緒不安定になり、気分の上がり下がりに激しさが増していることに気がつき始めていた。


そして、その気分を自らが制御できなくなって来ていることも、自覚できていた。
私は明日、手術を受ける。


主治医の院長先生自らが執刀してくださることになった。


それは、前例のない手術だった。



患部を切開して、手の施しようのない場合は、そのまま閉じる。



患部が処置可能な場合は、切除するが、



右足を切断する可能性が高い。



ガン転移の可能性もあり、明日は私の運命が大きく決まるときだ。
あれから、40年の月日が過ぎ去っていった今、手術日前日のことを思い出していた。



きっと、



大人になった今の私には耐えられないかもしれない



きっと、



心苦しくて、情けなくて、悔しくて、そんな自分が嫌になっただろう



しかし、


あの時の、この自分は、乗り越えることができた



そして、今も生きている
当時、


僕は絶対に逃れられない状況にいた


それは、ちょうど、<strong>小さな箱に閉じ込められたのと同じ</strong>


しかも、鍵の開かない箱だった



なのに
さらに辛いことは続いた



「足がなくなったとしても、命が助かればいいんだよ。」「そう考えたらいいよ」



そのことばは、これから手術を受ける私の心を、意図も簡単に砕いた。




僕は、悔しかった。



とっても小さな箱に閉じ込められた僕は、

全く身動きができない状態と同じ。



心が拘束されたような息苦しさを感じながら、


その言われたことばに、必死で抵抗した。



僕の、詰まって全く声にならない声を

必死で出そうと、もがいていた。



僕は、今でも、

「足も、命も残したいんだ」

「どっちかを諦めるなんてできない」



僕の心の叫び声は、誰かに届いたのだろうか


しばらくすると、力の入った僕の肩の力は和らぎ、


不思議と、空しさはなく、少し爽やかな風が、僕の周りを通りすぎていったのだった。
小児がんを発症してからは、


家のなかでも一人になる瞬間は、


ひとりで<strong>死後のこと</strong>を思うようになった。



書籍「生き抜く力」でも述べたが、



夕方のテレビアニメを見ながら、僕の意識は、


死後の世界の方向を向いていた。



当日、まだ10歳の私にとっては、


「死」は、この世で一番怖い事だった。


本や、テレビのなかの、設定や空想ではなく、


現実世界の、それも自分自身にのし掛かった事実。



その事は、


とてつもなく重く、息苦しい現実だった。


その、どんな手段を取ったとしても

決して逃れられないこと。


それが、僕の身体のなかで起きてしまった事実。



結局、僕は、この現実を、現実として受け止めることができなかった。



「現実逃避」ということばを知る、ずっと前に、


僕は現実逃避を経験した。



それほど、「死」に怯えていたのだろう。


当時の自分自身の心の動揺は

異常な状態だったのだろう。


自らの状態を冷静に判断できないほど、動揺し、

怯えていた。


今、この世で生きている人のなかで、


直近で「死」を経験してきたという人は、


おそらくいないはずだ。


だから、みんな「死」が怖く。


そして、


「死後の世界」について知りたいのではないだろうか。



そして、


当時の僕も「死後の世界」を知りたいと思うようになり、とっても強く意識していた。

「もしかすると、この病が治らなかったら、僕は、死んでしまうのだろう。

死んだら僕は、どんな死後の世界に行くのだろう。

死後の世界は、どんなところなのか」

そんな考えが常に頭のなかをぐるぐる、暇さえあれば、回転しているようだった。
難病患者の僕が欲しかったもの




10歳で、難病の希少癌(骨肉腫)を発症した僕が、

一番欲しかったもの。



それは、特効薬ではなく、あることだった。



小学三年生の僕は、周りの子供よりも、少し人見知りをしていた。



人見知りをする性格のため、相手に自分の考えや、意見を伝えることが苦手だった。



そんな僕が、ある日突然に難病患者になったことで、

さらに周りの人との壁をつくり、

心を閉ざしてしまった。



僕は、その時考えていた。



それは、「孤独」。



「僕は、この世で、一人ぼっちなんだ」




僕は、難病になったことさえも忘れかける程、


心の中は孤独感で満たされた。



孤独になると、周りの声が聞こえなくなった。



それと同時に、将来の不安も感じなくなった。
僕には、未来がない。



僕は未来に生きることができなくなった。



みんなと同じような人生を歩むことができない。



きっと、人生って、そういうものなんだ。



あっという間に終わる人生。



僕はまさに、その


「あっという間に終わる人生」を経験するために

生まれてきたのだろう。



見方を変えれば、僕はこの瞬間に、人生を悟った。



今でも不思議なことだが、


人生に対して、そのような感覚を感じると、


少し勇気が出てきたように記憶している。


何かに包まれたような、守られているような。



だけど、…



だけど、僕は、止まることのない涙をいっぱい

流していた。



やっぱり、僕、さみしいんだ。
誰か、僕を助けてください。</strong>



誰でもいいから、


僕を助けてください。


僕の心は、激しく波打つ海の様に、次々と複雑な感情が押し寄せた。



そして、気付くと眠っていた。



目が覚めると、僕の中に別の感情が生まれた。


それは…




続く

🔷自己紹介🔷

癌(ガン)による身体的痛みと心の痛みは、



どちらが辛かったかということを問われたことがありました。



癌サバイバーとしての私の考えを述べさせていただきますと、



過去記事の、

「癌(ガン)による身体的痛みと心の痛み」


については、私が癌(骨肉腫)を発症した当時、

まだ10歳の子供であったことからだと考えますが、




私にとって<strong>「心の痛み」の方が断然辛かった</strong>のです。



身体的には、下腹部の腫れ上がりがひどく、お腹が膨れてしまい、


パンツのベルトが閉まらないくらいでしたし、

足の間接部や、腹部にかけて、熱を持った状態であり多少の痛みも感じました。



しかし、当時の私は、まだ10歳であり、


自らの身に起きた、「一大事」にショックを受けていた方が、より辛かったように考えるのです。


小児がんの患者さんがすべて、

同じだとは思いませんが、人生経験の少ない子供のの時分に起きた、大病は、子供の心に、


そして、小さな身体に大きなダメージを与えることには、違いありません。
現代医学の進歩から、身体的な痛みを和らげる薬は、できてきているものの、


「心の痛み」については、薬で容易には解消されません。
ましてや、子供の場合には、人生経験も少なく、入ってくる情報の理解を可能にするための知識も少ないことから、自らがこの「心の痛み」を解消させる術がないことが大きな要因となって、小児がん患者さんが、心を痛めているものと考えるのです。
 🔷小児がんになった我が子にしてあげられること🔷 


🔷小児がんになった我が子にしてあげられること🔷



【小児がんになった我が子にしてあげられること】


小児がんを発症したお子さんの親御さんは、まず、この事を考えるのだろう私の両親も例外ではなかった。こんなとき、両親は、自らの無力さを感じる両親にとっての、人生の学びなのだと、自覚できるほど、人は強くない両親もお子さんの気持ちに同調し、一緒に心のなかの闇に沈んでしまい、這い上がれなくなってしまう
【小児がんになった我が子にしてあげられること】 小児がんを発症したお子さんの親御さんは、まず、この事を考えるのだろう 私の両親も例外ではなかった。 こんなとき、両親は、自らの無力さを感じる 両親にとっての、人生の学びなのだと、自覚できるほど、人は強くない 両親もお子さんの気持ちに同調し、一緒に心のなかの闇に沈んでしまい、這い上がれなくなってしまう

 【人の無力さと、弱さを確実に認識させられる】

 人生の学び

人生の学び

 ガンという病は、人生の学び

私は10歳の時(小学3年生)、癌(ガン)になった。


10歳であれば、自らがどのような状況にあるのかは、説明すれば、ゆっくりと理解できることでしょう。


しかし、もっと小さな子供の場合には説明することも、理解してもらえることも難しいでしょう。



そのような小さな子供の場合には気を付けなければいけないことがあります。



それは、例え小さな子供でも、周りの大人の顔色、話し方、仕草等から自らがどのような状況なのかを察知していることです。



癌患者のお子さんに、病気のことをお伝えしない(知らせない)ことを決められた場合には、軽はずみな行動には、特に気を付けなくてはいけません。



大人の会話を理解できなかったとしても、大人の話し方や表情等から良くない状況を感じ取ってしまう可能性があります。



私は10歳の時に、癌サバイバーとなりましたが、周りの大人が私に対してしてくれた、


とても重要で、大変なことは、「私への癌告知」でした。



それは、とても勇気のいることなのです。


なぜなら、


それは、我が幼子に対して、

 人生の学び

を教えなくてはいけないからです。

たとえ、


その両親が、その【人生の学び】を十分に理解出来ていなかったとしても、


人生の学びを考え、想像して、分かりやすく教えなくてはいけないのです


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

私の当時の回想内容を文章化しているところは、特に、とても難しい表現になっています。


この記事は、このblogを始めるきっかけになった、強い思いと、内容がことばで表現されていますので、
皆様にお伝えしたいことが、詰め込まれています。


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